アーカイブ

2018年6月

          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30





社会関係資本に関する考察


久しぶりにブログを書きます。信岡です。

この5月から東京にきて感じることは、たくさんあって、

海士で生活をした後と、する前にいた東京では

ずいぶん見え方が違うなと思います。

 

そんな中で、ふと出て来たものがこちら

 

class_matrix1.png

 

これは縦軸に自分のいる世界の経済的ゆとりを

横軸に隣りの世界への関心をとって、4つの象限に分けたものです。

 

経済的にゆとりあり、自分が生き残るが優先 →資産家
経済的にゆとりあり、他者と共に生きるが優先 →騎士
経済的ゆとりなく、自分が生き残るが優先 →貧者
経済的ゆとりなく、他者と共に生きるが優先 →僧侶

というようなクラス分けをしてみてます
(もうちょっと言葉選びたい)

で、これを使って浮かんで来た問いは

1:資産家はなにがあれば騎士になるのか
2:騎士は、自分の経済的ゆとりがなくなると
  貧者になるのか、僧侶になるのか
3:貧者は経済的ゆとりが出来ると、騎士になるのか資産家に 
  なるのか
4:僧侶は、なにがあると、貧者になるのか

などです。

すると人と話していて出てきた意見として

 

「周りの自然や人に生かされている感覚があるかどうかが

 けっこうキーかもね。」

とか

「貨幣経済への依存度が高いと資産家や貧者になりやすいかも」

という意見がありました。

 

ふとそこでイメージしたのは、

 

高度経済成長によって、この階級のマトリックスは

こう移動したんじゃないかという仮説。

class_matrix2.png

 

貨幣経済だけで生きている人をたくさん増やして、

一億総中流というみんなが資産家になれる状態をつくった。

その結果、資産家(貨幣経済だけで生きている人)は増えたけど、

その副作用として、騎士や僧侶も減った。

 

それが経済が失われた20年と言われながら衰退してしまうと

class_matrix3.png

 

資産家でいられる層が減って、でも社会関係資本や自然資本などが

回復しないために、貧者が増える。

 

結果、全体としての生きづらさが増えていく。

 

そんなイメージ。

 

自然資本も社会関係資本も、一朝一夕には創れないので、

どうしても一度失われてしまうと、

もう一度、騎士や僧侶として生きる%を増やしたいと思っても

ハードルが高くなりすぎる。

(現実世界で、隣の人に手を差し伸べようとすると、

 トラブルが大きくなる確率が高くて

 怖くて手が出せない)

 

しかしながら、これだと貧者になるか資産家になるかしか

選択肢がなくなってしまうので、

ますます競争社会からの脱落=悲しいだけの世界

になってしまう為、隣りの世界への関心が

持ち得なくなっていく。

 

たぶん、この全体としての支える力というか、

競争脱落への恐さを減らすために、

 

騎士や僧侶としての割合を増やしていく方法

そんなものを探しているんじゃないかなと

そんなことを感じる東京暮らしであります。

 

そしてそれは誰かのためにというよりも、

自分や自分の子どもに対して

競争以外の選択肢を残していきたいと思ったときに、

必要になる活動なのだろうなと、

そんなことを感じました。

 

海士ではずいぶんと、騎士や僧侶的な

優しさに触れていた気がします。

 

みんなでその感覚が共有できると、

未来が生きやすくなっていくんじゃないかなと

そんなことにワクワクします。


2014年7月22日 07:28