信岡です。東京で暮らし始めて6ヶ月が経とうとしております。
ふと、島でたくさんのことを学んだあと、
東京で仕事をしてみて思うことがあるので、
ちょっと文章にしてみようと思います。
東京で、以前働いていた時と今を比べて、
ずいぶんと、「やりたいこと」と「しなければいけないこと」とを
マッチングさせるのがうまくなったなという感覚があります。
というのも、
自分がやりたいこと、それは「ひとつの形」ではなくて
「複数の要素の集まり」なのだなと思うようになってました。
よく、キャリアパスという言葉があり、
自分が最終的に行きたいキャリアに向けて、
まっすぐに進むというのがありますが、
実際に未来を想像する力、リアリティをもって空想しようと思うと、
「ひとつのやりたいこと」が出来るようになるために
「複数の出来ること」を身につけないとそれは出来ない。
そうだとすると、
「やりたいことに向かって他のものを削ぎ落としていく」というよりも
「やりたいことのAの部分は、この仕事でレベルアップして
Bの部分は、この集まりでレベルアップして」という感じで
むしろ、「やりたいことを膨らませていく」ことで
日々の色んな物が全部、やりたいことに繋がっていくような
そんな感覚があります。
それは例えば、どこかとの新しい仕事の打ち合わせをしていて
先方のやりたいことが一つ、自分のやりたいことが一つだと、
マッチングするためには、
完全にやりたいことが一致する必要がある。
しかしながら、向こうのやりたいことが10個
こっちのやりたいことが10個あれば、
一緒にやりたいことは、3つくらいあるので、
そこが落としどころになる。
実際は、やりたいこと3つと、やりたくなくてもやること3つくらいの
仕事になると思うのですが、
ちゃんとそれはやりたいことに繋がっていく必要条件になっていく。
そんなことを考えていると、もしかすると、
いまに不満があるときというのは
「やりたくないことで日常がいっぱい」なのではなく
「やりたいことが足りてない」のかもしれませんね。
カレンダーが、やりたいことと、
やりたいことのために必要になるやらないといけないこと
ばかりで埋まってくる毎日です。
こんにちは、信岡です。
東京でいろいろと動きながら、
島の大使館という企画を月2日、オープンしています。
http://megurinowa.jp/news/2014/07/post-90.html
https://www.facebook.com/shimanotaishikan
さて、始めてみるとですね、
一番感じているのは、
「ああ、この感覚懐かしいな」という感覚です。
どんな景色に懐かしさを感じるかというと、
僕は12時から22時までそこのカフェに
ただいる、のですが、そうすると
「今日は遊びに行きますね」
と言ってくれていた友人や、久しぶりの人が
ふらりとやってきてくれます。
同じタイミングで2組来て下さったときには、相席にして
一緒に話したり。
それは昔、大学の時に友人と
町家コミュニティを作っていたときの感覚にすごく似ていて、
自分が外側に向かって心が開かれている時間に
すごく低い敷居で人と話が出来る、
目的がなくても、話すことがなくても、
ふと、「元気そうか顔を見に来た」
という世界の中で、人と人が話し始めて繋がる。
偶然の幸せというのを、セレンディピティというらしいですが
とても、セレンディピティにあいやすい時間。
それは、ハードとしての「縁側」である場所でありつつ
そこにいくことそのものは、
ソフトとしてもやはり「心が縁側の状態」で居れるという意味でも
心地が良くて、
そういう時間をまた過ごせていることに
とても嬉しい気分がしております。
そういう事を思うと、島のおばあちゃんと畑で立ち話していると
「まぁ、あがってお茶でも飲みんさい」と言われてる風景が
浮かんで来て、9月の稲刈に島に帰れるのが、楽しみ♪
久しぶりにブログを書きます。信岡です。
この5月から東京にきて感じることは、たくさんあって、
海士で生活をした後と、する前にいた東京では
ずいぶん見え方が違うなと思います。
そんな中で、ふと出て来たものがこちら
これは縦軸に自分のいる世界の経済的ゆとりを
横軸に隣りの世界への関心をとって、4つの象限に分けたものです。
経済的にゆとりあり、自分が生き残るが優先 →資産家
経済的にゆとりあり、他者と共に生きるが優先 →騎士
経済的ゆとりなく、自分が生き残るが優先 →貧者
経済的ゆとりなく、他者と共に生きるが優先 →僧侶
というようなクラス分けをしてみてます
(もうちょっと言葉選びたい)
で、これを使って浮かんで来た問いは
1:資産家はなにがあれば騎士になるのか
2:騎士は、自分の経済的ゆとりがなくなると
貧者になるのか、僧侶になるのか
3:貧者は経済的ゆとりが出来ると、騎士になるのか資産
なるのか
4:僧侶は、なにがあると、貧者になるのか
などです。
すると人と話していて出てきた意見として
「周りの自然や人に生かされている感覚があるかどうかが
けっこうキーかもね。」
とか
「貨幣経済への依存度が高いと資産家や貧者になりやすいかも」
という意見がありました。
ふとそこでイメージしたのは、
高度経済成長によって、この階級のマトリックスは
こう移動したんじゃないかという仮説。
貨幣経済だけで生きている人をたくさん増やして、
一億総中流というみんなが資産家になれる状態をつくった。
その結果、資産家(貨幣経済だけで生きている人)は増えたけど、
その副作用として、騎士や僧侶も減った。
それが経済が失われた20年と言われながら衰退してしまうと
資産家でいられる層が減って、でも社会関係資本や自然資本などが
回復しないために、貧者が増える。
結果、全体としての生きづらさが増えていく。
そんなイメージ。
自然資本も社会関係資本も、一朝一夕には創れないので、
どうしても一度失われてしまうと、
もう一度、騎士や僧侶として生きる%を増やしたいと思っても
ハードルが高くなりすぎる。
(現実世界で、隣の人に手を差し伸べようとすると、
トラブルが大きくなる確率が高くて
怖くて手が出せない)
しかしながら、これだと貧者になるか資産家になるかしか
選択肢がなくなってしまうので、
ますます競争社会からの脱落=悲しいだけの世界
になってしまう為、隣りの世界への関心が
持ち得なくなっていく。
たぶん、この全体としての支える力というか、
競争脱落への恐さを減らすために、
騎士や僧侶としての割合を増やしていく方法
そんなものを探しているんじゃないかなと
そんなことを感じる東京暮らしであります。
そしてそれは誰かのためにというよりも、
自分や自分の子どもに対して
競争以外の選択肢を残していきたいと思ったときに、
必要になる活動なのだろうなと、
そんなことを感じました。
海士ではずいぶんと、騎士や僧侶的な
優しさに触れていた気がします。
みんなでその感覚が共有できると、
未来が生きやすくなっていくんじゃないかなと
そんなことにワクワクします。
巡の環でお世話になっているみなさまへ
巡の環の阿部と信岡です。
早いもので海士町で起業して6年の月日がたち、
会社として7度目の春を迎えております。
これまで無事活動を続けて来られたのは
ひとえに皆様のご支援のおかげと
深く感謝しております。
この度、創業メンバーでもある信岡が
2014年4月1日をもって常勤の取締役から
非常勤の取締役へと勤務形態を変更し、
5月中旬に、海士を離れることとなります。
信岡の次の活動拠点は東京になります。
年末より信岡からの相談に阿部が応える形で話し合いがあり
熟慮したうえで二人の同意をもってこの決断となりました。
信岡は、巡の環および海士でどうやって
よりよい未来への小さな成功モデルが作っていけるのかを
この6年間考え続け、多くのことに挑戦してきました。
しかし、海士側からだけの働きかけとして、過疎化していく
島の課題を解決していこうという問題意識では
興味関心のある人も集められる力も限られてしまい、
その限界を感じているところです。
海士が都会側からみて「支援する・される」
という関係になるのではなく、
これから日本全土で一緒に迎える人口減少社会という
かつて経験のない大きな共通テーマにむけて、
どうすれば都市に住む人も田舎に住む人も一緒に、
同じ神輿を担ぐチームになれるのか
という問題に取り組むための動きを
手探りでやっていくことにしました。
阿部としては、巡の環のこれからや
これまでの多くの海士の人からの温情など
いろいろと熟慮すべき重大な決断であると分かりながらも、
それでも、信岡が「信岡らしい生き方」を
全うすることを応援したいという気持ちを
最優先させたいと思い、
今回の海士を離れるという信岡の決断を受け入れました。
お互いが自分の一番大切にしたい生き方をするための
よきパートナーとして、そして大きな意味では起業当初から変わらず
お互いに同じ夢に向かってこれからも助け合いの出来る仲間として
新しい段階に進もうと思います。
信岡は東京に行ってからも、非常勤の社外取締役として
定期的に連絡を取りながら、東京側からできることを模索しつつ
変わらず巡の環の活動には参加していきます。
このような形で、傍目から見れば不安定な会社でありますが、
自分たちらしくしっかりと生き、これからの世の中に必要とされる
価値を提供し続けていきます。
今後も巡の環も信岡も含め、
ご指導ご鞭撻のほどよろしくお願いいたします。
株式会社巡の環
代表取締役 阿部裕志
取締役 信岡良亮