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藤澤裕介(ふじさわ・ゆうすけ)
1979年神奈川県生まれ。2002年、角川書店入社。
8年半に渡って書店営業を主に勤務。
2010年10月より海士町にて島暮らしをスタート。現在は海士町漁業協同組合に勤務。
 
 藤澤裕介さんは角川書店で8年半、書店営業を主に勤務し、2010年10月より島根県・隠岐諸島の海士町にて島暮らしをスタートさせました。今やもう、完全に「島の人」です。漁協での仕事では漁師さんたちからの信頼も厚く、夕食は海で釣って帰り、休日は海へ山へと出かけています。神奈川生まれの藤澤さんは海士を人生で第二の「ふるさと」にすることに成功しています。藤澤さんにとっての、移住の秘訣とは何なのでしょうか?
 
(聞き手:阿部裕志)

 

 

【移住後の「こんなつもりじゃなかった」は勉強不足】

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自宅の庭にてハンモックで昼寝をする。そして、おやつに育てたトウモロコシを湯がいて食べるなんて、いい休日でしょ。
 
――今回は同じIターン仲間として、移住の本音話を聞きたいです。もう今年で海士は3年目ですね? 実際に移住されて暮らし面ではどうですか?
 
藤澤 暮らし面はばっちりですね。
 
――100点満点中何点?
 
藤澤 100点だね。
 
――気持ちいい点数ですね(笑)
 
藤澤 実際、想像よりもいいんです。暮らしは本当に楽しいですね。
 
――たとえばどういったところが想像以上だったんですか?
 
藤澤 仕事帰りに魚釣って、それを晩飯に食うっていうのが、移住する前のやってみたいことだったんですよ。とにかくその夢が叶いまくりで(笑)。一時期は職場の菱浦で、昼休みに釣りをしていたこともあるくらい。釣りバカ日誌の浜ちゃんみたいな生活をしています。
 
――それはよかった。でも、都会の暮らしとは当然変わりますし、不便なこととかはなかったのでしょうか?
 
藤澤 僕に関してはあまり無いんです。むしろ、ここの暮らしに「こんなつもりじゃなかった」って不便や不具合を感じてしまうのは、来る前の思い描きが足りないんじゃないかなと思います。
 
――「こんなつもりじゃなかった」、たとえば?
 
藤澤 たとえば田舎って、人間関係が狭い社会で、実際来てみるとギャップに悩むとよく聞きます。でもそれは、そもそもあたりまえというか。そういうもんでしょ、と僕は思います。下調べがちゃんとできていれば、その近さが思っていたより近かったぐらいで済むはず。そんなのちょっと田舎に住んでいる人に聞いてみれば、容易に心の準備ができるはずです。家にどんどん町の人が入ってくるとか、別に普通のことですよ。
 
――たしかに。僕は旅をよくしている人はこの感覚、大丈夫だと思いますね。そういうことが好きで旅をしていたりとか、旅先でそういう風景を見ていたりといった経験は、田舎暮らしの重要な素養かもしれない。
 
藤澤 違う文化に出会ったときに、面白いと思えるかどうかですよね。
 
――まさにこの本はそこをちゃんと伝えるという目的があります。海士との出会いはどんなところからでしたか?
 
藤澤:新聞でした。数年前の秋に日経新聞で、離島の地域振興などを取り上げる特集があって、10回ぐらい連続で海士町の地域活性化についての特集があった。何より、よそ者を受け入れる気質というのが功を奏した島だったということが目を引きました。それを読んですっかり感動して、まずは行ってみようと思ったのがきっかけでした。
 その後何度か下見を重ねて、2010年の10月に移住しました。決め手は島のサイズでした。大きくもなく、小さくもなく、「僕が住んでいる島」と言える大きさがしっくりきたんです。
 
――島ぐらしへの憧れはどんなところから始まっているんですか?
 
藤澤 僕は神奈川県出身なんですけど、島への憧れは自然に近いところにいたいのと、海が大好きだということでしたね。そして何より、都会の暮らしでの、過剰なモノの多さにウンザリしていたんです。街中にあるコンビニでも何でも、とにかくモノが多い。島では過剰なものなんて何ひとつありませんからね。それが気持ちいいと感じたこともきっかけでした。
 

【マニアになってから移住する。これはテクニックではなく、作法に近い】

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周りを海に囲まれた島は、おかずがいっぱい泳いでる。
ヒラマサだって岸から釣れちゃう。やったね。
 
 
――漁協ではどんな仕事をされていますか。
 
藤澤 漁協では、基本的にはインターネットでの販売をやっています。インターネットはあくまでも手段に過ぎないのですが、新しい販路を作りながら、漁師が食っていける状況を作るのがミッションですね。基本的には島の人と変わらない普通の職員として、朝に港へ行って、出荷して、事務作業もやって、「あとはいい具合にやってくれ」という感じです。この「いい具合」というのが難しい。「適当にやっといてくれ」ではなくて、「(漁協・漁師が)良くなるようなことをせよ」ということ。これがすごく難しいです。
 
――理論的には簡単。
 
藤澤 うん、理論をつくるのは簡単。「これはこうしたらよくなる」というのはあるけれど、全体的に食える環境を作るという、漁協のゴールまでの道筋がなかなかまだ見いだせない。僕は水産業自体の勉強もしながらだし、じわじわがんばっているところです。もうすぐ移住して3年になるので、「もう少し進んでいなければ」という自分へのプレッシャーはあります。途中で釣りとかに時間を割きすぎた(笑)。
 
――(笑)。
 
藤澤 まあ、でも時間使ったからどうなるという問題でもないんだよね。そこが一番難しい。
 
――とはいえ、話を聞いていると、うまく島の暮らしにランディングしている感じは伝わってきますね。
 
藤澤 そんなに悩みとかははなくて。
 
――下調べは実際にどんなことをされてたんですか?
 
藤澤 そもそも島暮らしとの出会いは、大学のころに行った沖縄でした。その後、新卒で角川書店で働き始めて、入社2年目ぐらいのときにもう一度沖縄に行って、ますます好きになって、年に3回ぐらいのペースで通い始めました。それからというもの、佐渡島にキャンプに行ったりしたときも、「住む」目線で眺めていました。
 佐渡島や沖縄など、いくつかの島の地域コミュニティーを知っていたこともあって、移住前に都市生活とのギャップをきちんと理解して詰めておくことができた。これがスムーズな移住を可能にしたんだと思いますね。あと、海士はキャラが立っている人が多いから、インターネットでも情報収集がしやすかったですよ。
 
――ちなみに僕たちのことは知ってました?
 
藤澤 もちろん。完全に海士マニアになってましたから(笑)。メディアのインタビューとかに出ている人の情報はだいたい全部見ていましたね。
 
――全部っていうのがすごい(笑)。僕たちと大違いだ。海士に実際に移り住んで、一番幸せだと思うことは何ですか。
 
藤澤  島に来ていちばん幸せだと思うのは、一日に何回か「幸せだなあ」と思う時間があることです。例えば僕は、朝豊田の漁港で仕事して、昼からキンニャモニャセンターのある菱浦に行きます。その間の移動は、普段は車ですが、天気がいいときは自転車で移動したりします。その間の景色が気持ちいいこと。仕事中に自転車に乗って海を眺めながら移動できるなんて本当に幸せだなあと思ってしまいます。
田んぼも見ていると、季節ごとにちょっとずつ変わるし、本当に海士の景色はきれいだよね。あと、飯がうまい!
 

【漁業界での「海士=CAS」の次のものを作りたい】

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シーカヤックで海に出れば、自分のペースでありのままの自然を味わえる。透きとおった海や、岩の形が美しい。
 
――はじめて巡の環のことを知ったとき、どんな会社かわかりましたか。
 
藤澤 全然分からなかった(笑)。
 
――(笑)。
 
藤澤 でも、一番最初に「ああ、こういう会社か」って思ったのは、『海士の聞き書き』を見たときでした。いいものを作っているんだなあって思って手にとった記憶があります。どんな会社か、と聞かれて一言では説明しにくいというのはあるけれど、ちゃんと伝えたいことがあって、それを伝えるために会社という形になっているんだなと思いました。
そして、入れ替わり立ち替わりいろんな人が巡の環で繋がってきているのを見て、海士の中で外とつながっている場所なんだなと感じました。よって、島にいながら、東京と同じ時間で流れてないといけないわけだし、難しい温度感の中でやれていることがすごいと思います。
 
――ありがとうございます。藤澤さんにとってこれからやりたいことって何ですか? 漠然としていますが。
 
藤澤 やりたいことはたくさんありすぎるんですけど、まず、シーカヤックが欲しいですね。
 
――やっぱり。誘おうかと思っていたんですよ。
 
藤澤 最近毎日カタログを見ていて(笑)。隠岐は有人島と無人島入れて180個島があるんですよ。これをシーカヤックで全部制覇してやろうと思って。もちろん、仕事もバリバリやっています。去年からずっと考えていることですが、海士町の「季節の食材定期便」を作りたいと思っています。都会から来た僕は、独自の食文化と素晴らしい自然を享受する暮らし方というものにすごく惹かれています。都市の消費者が旬を舌で感じて、漁業について価値を見直し、正当な対価を支払うことで支持を表明できるような流れを作りたいと考えています。簡単に言うと、「MY漁師」みたいな感じでしょうか。漁師は、これまでのように質より量では難しい職業になりつつあります。新しい漁師とお客さんの関係を一緒になって作っていきたいと考えています。
 
それを成功させて、漁業界での「海士=CAS」の次のものを作りたいと思っています。
海士は、やっぱりいつまでも「まちおこしの海士町」。僕も漁協で、できることをやろうと思います。
 
――仲間として、僕たちも自分たちの持ち場でできること、もっとがんばりたいです。今回はありがとうございました。
 

 

2013年1月28日 15:51