大江和彦(おおえ・かずひこ)
1959年、海士町生まれ。1985年、海士町役場に採用されたことをきっかけに、海士町へ戻る。
2004年、役場で新たに設置された地産地商課・課長に配属される。
2007年より、海士町役場産業創出課・課長。
海士町役場にて、海士町の新たな産業と雇用創出に取り組む「産業創出課」。
田舎に雇用を生み出す、という点においては巡の環とミッションを共有する産業創出課の課長、大江和彦さんは、まだ起業して間もない巡の環と最初に仕事を共にした方です。
当時を振り返り、産業創出課としてこれからの巡の環に期待していることを聞きました。(聞き手:阿部裕志)
【真に目線を合わせられる力こそを求めたい】
――大江さんは、まだ移住したばかりで右も左も分からなかった僕たちに、海の環境保全には海藻が大切であることを伝えるためのシンポジウムの企画・立案を、初めて仕事として振ってくださいました。ちょっと変な質問ですが、突然やってきて、よく分からない会社を起業した僕を、当初どんな風に感じておられましたか?
大江 そりゃあ、変わったやつだなあって思ってたよ(笑)。学歴も高いし、しかもトヨタで働いている。なんでそんな人がわざわざ海士に来るんだろうなって思っていた。でも話してみると、とにかく独自の価値観を持っているということは分かった。新しい生き方を求めて海士に来た、という動機は、海士にそんな期待をして入ってきて後悔しないだろうかと少し心配だったけれど、話していて共感するところはあった。今までの生き方が肌に合わないということで海士を選んだということには、好感も持てたよ。
――本にも書いていますが、僕たちは「事業内容はこれから考えます」なんて言いながら挨拶まわりをしていたくらいですから(笑)、仕事づくりが大変なのもあって、後悔する時間がなかったというのが実際のところでした。海藻のシンポジウムのテーマは、海藻の資源管理でしたね。
大江 気候変動に伴う水温の変化で、隠岐でも沿岸海域に生息する海藻の多くが死滅する「磯焼け」が起こっていた。海藻は魚が産卵をする上で極めて重要であり、その資源管理は、漁獲高を維持するために必要なこと。そこでシンポジウムを開いて海藻の資源管理の重要性を広く知ってもらう機会を提供するとともに、漁師はもちろん、行政、住民との対話の場を持ちたいと考えた。このときの仕事ぶりで、僕は阿部くんと巡の環の力をいろいろと感じていたよ。
まあきちっと先が見えてたら、君も起業してなかっただろうさ。チャレンジってそういうもんだろう。
――海士が求める「力」というのはそもそも何なんでしょうか?
大江 もちろん、町長が掲げる「よそ者」「若者」「ばか者」の力は求めている。とはいえ、結局のこの島が求めているところは、アイデアや情熱はもちろんだが、限りなく海士の人と目線を同じにしてくれる人の力なんだ。地域活性化専門のコンサルというのもひとつの選択肢だろうけれど、アドバイスやノウハウ、立派な計画書を持っていても、けっきょくプロジェクトなりイベントなりが終わってしまえば後のフォローがない。外の人、あるいはいずれこの島を去る人という前提があるかぎり、どうしても最後のところで目線が合わない。
その点で、巡の環は特殊だと言える。体を張って地域の側に立って行動して、結果が出てもまた次もいっしょにやれる。だから、地域の人も行動を共にしようという気になる。結果として島の農家や漁師も、海藻のシンポジウムをきっかけにして巡の環と関係を持って、イベント等に参加していったわけだ。
海士は地域社会の中ではオープンな体質だろう。それは、産業創出の観点からすれば、地域の土着民とよそ者が共存しているほうがうまくいくことを経験から知っているからだと言える。世の中に何かを発信して、経済の歯車を動かして稼ぎを得ていくというのは土着民だけでは無理だ。案外、海士の中にいると何が魅力なのか分からないことが多い。阿部くんのように外から来るということは、何かしら魅力があると思って来てくれるわけだ。その目線というものは、土着民はなかなか持ちようがないからね。
【海士は、チャンスは情熱から生まれると知っている島】
――僕がこの本を作っているとき、大江さんが、海士に移住してくる農業に興味のある人たちにすぐ貸せるようにと、離農していく島の農家さんから田んぼを借り、仕事の合間を縫って田んぼを維持管理しているエピソードは必ず入れようと思ったんです。
大江 大変だけどな(笑)。夏の草刈りは本当に。小さな田んぼは手間がかかるから所有者は困る反面、Iターンの人は大きな田んぼは手に負えないから、借りるなら小さな田んぼが適している。しかし、なかなか借りようと思っても、来たばかりの人は借りられないものだからね。
――本当に大変だと思います。何が大江さんをそこまで駆り立てるんですか?
大江 仕事も忙しいし、やめようかと思ったこともあったけれど、やっぱり島の財産である稲作は残したいからね。それに、僕は2004年に現職に就いて、Iターンを海士の魅力を掘り起こすための「商品開発研修生」として受け入れる立場に立ったときに、スローライフ、スローフード、地産地消の田舎暮らしを求めて島に来てくれる人がこれからどんどん増えると感じていた。
そして海士は、離島でいながら淡水が湧き、平野が広く、稲作をすることができる。その収穫は島前三つの島分をまかなえて、本土にまで出荷している。だから移住する人が稲作をやりたがるのでは、とも思っていた。
今は役場の若い人にも田んぼを貸している。稲作はもちろん大変な仕事だけれど、新米を食べる感動は、その作業のつらさを忘れるほどに嬉しいものだ。その感動を来年、また再来年と受け継いでいってもらいたいと思っている。
――海士は本当に島の財産をみんなで守って伸ばしていこうという気風があります。それに外部の人の情熱を生かし、共に挑戦をしていこうとする。島で高級食材「干しナマコ」を製造する会社を立ち上げた宮崎雅也さんの例が印象的です。
大江 彼は一橋大学在学中に知り合って、島に就職したいと言ってきた。自然の中で体を張って生きる力を身に着けたいと。
とはいっても新卒で就職は難しいなと話していたら、会社をつくると言ってきた。彼は海士特産のナマコが漁業者の所得にきちんと反映されない、島外の加工業者に買い叩かれて利益を逃していることに目をつけた。そこで海士で一貫生産をし、付加価値をつけて中国に販路をつくるというのだ。熱意もあるし、なんとかしてやりたいなと思った。
しかし、そのためには加工工場も必要だ。どう計算しても民間ベースでは償還できない。我々は本当に産業として成立するなら、なんとか支援したいと思った。調べてみると、今はナマコ自体の資源が3分の1になっているが、昔の資源量に戻ればなんとか産業になるかもしれないという希望が見えた。
たまたま、当時の第一次阿部内閣のときに宮崎の計画に国の事業費がつきそうな機会があったので、「やってみるか」という町長の決断で実現までもっていったのだった。このとき町長は、宮崎くんもそうだが、宮崎くんの下にいる漁業生産者の所得を上げるために加工工場を建てると腹をくくったのだ。
それくらい、この島の自治体は外部の人の情熱に耳を傾けて、それを島の利益に結びつけようと躍起なのだ。
海藻シンポジウムの様子。海士町周辺の海藻の様子や漁礁についての調査発表などがあり、この後海藻研究所が立ち上げることとなる。
【五感塾は、地域の愛着もともに高める企業研修の新しいカタチ】
――僕たちはそんな海士での学びを伝え、地域コーディネーターや社会起業家を育成するための「めぐりカレッジ」という学校を、この海士で事業として運営していこうと思っています。これから地域に入っていく人たちにはどんなことが求められるのでしょうか?
大江 地域社会というのは、良く言えば自立心と自尊心が強く、逆に言えばやや閉鎖的な人たちの社会だ。そうした人たちというのは最後の目線までをいっしょに合わせて行動できる運命共同体こそを求めているのだと思う。
もっとも、巡の環の人たちのように、地域の人と同じ目線で同じ行動をして課題に取り組んで、いばらずに解決していく能力が相当高くなければやっていけんことだろうけど。
――いや、僕たちは本当に海士の人に助けてもらってばかりで、こんなのでいいんだろうかと思っているくらいです。とはいえ、今まではどちらかと言えば「守り」だったんですが、今年は「攻め」に出ようと意気込んでいます。
大江 巡の環の企業理念でもある「島の学校」づくりへの取り組みは、島に住んでいる高齢の方、自分の考えを持っている方を講師として登場させることが魅力だと思っているね。人前で話をしたり、相手が感動してくれたりすると、地域に対する愛着が湧いてくる。島外から五感塾などのイベントに来た人も学ぶことがあるが、何よりも地元の人が講師になることで、地域に愛着を持つきっかけになることが、嬉しく思っているよ。
海士の高齢者には、定年をむかえて余生は自然とともにひっそりと暮らしていく人が多いが、巡の環はそうした人たちを新しいステージに連れ出し、「この島に生まれてよかった」と感動し、愛着を持って生きていくことができる機会を提供している。そうした機会を創り出していることが、彼らの島の会社としての何よりの企業価値だと僕は思っているし、これからもより大きな活動にしていってほしいと思っているよ。
――ありがとうございます!この本をいろんなきっかけにして、今年もいい年にしていきたいと思っています。