『草喰なかひがし』は知る人ぞ知る京都の有名日本料理屋です。中東さんが毎日京都の野山へ畑へと足を運んで見つけてくる季節の素材をふんだんにつかった料理の数々が楽しめます。
中東さんが「本日のメインディッシュです」と言って供するのは「お竃(くど)さん」と呼ばれる伝統的なかまどで炊かれたご飯と、炙っためざし。少し昔までは何も特別なことのない、どこの家庭にもあったいつもの食事。その美味しさは「日本人でよかった」と心に沁みわたります。そして『草喰なかひがし』にはいつしか、予約が半年待ちというほどに、日本中からお客さんが訪れるようになりました。そんな中東さんが海士と出会い、どんなことを感じたか、お話を聞きました。(聞き手:阿部)
――2011年の11月、「新しい生き方を味わう旅」で、初めて海士に来ていただいて、どのように感じられましたか?
中東 日本人の義理人情というか、いわゆる都会では忘れ去られているような人付き合いを思い出しましたよ。組織じゃなくて、本当に人間ひとりひとりの、温かいつながりの中で、生活や仕事をされていることに感銘を受けました。
うちに分けて頂いているのは、岩牡蠣の「春香」。海士に行って育っている牡蠣やつくってらっしゃる人にお会いしました。本当にいいものを作ろうという思いで、生産性を考えずにやってらっしゃる。生産されているのではなく、育ててらっしゃる。その結果として、出来あがった物を売っていくという順番をきちんとしておられた。計画的な工場生産より、なんだか気持ちいいですわ。
私も毎日畑に行きます。そこでつくってらっしゃる方の思いに触れるわけです。いろんな農家さんがおられます。科学的に研究している人もいらっしゃいますし、昔からの方法でやってらっしゃる人もおります。しかし、そこで野菜といかに会話されているかによって、全然出来が違うわけですね。なぜその違いがうまれるかといえば、つくっている人の魂なんです。岩牡蠣「春香」にも同じことを感じましたね。
――そうした素晴らしい食材と触れ合って、中東さんはご自身の料理とはどのように向き合っておられるのですか?
中東 我々料理人は言ってみれば中間業者ですよ。つくってくださった人の思いのつまったものを分けていただいて、思いも味も、壊さんようにお客さんに届ける。それが仕事です。
うまく届いたら、お客さんが「これ美味しいね。どこの野菜?」って言わはるわけです。そうすると、私がその農家さんのことやらを話すわけです。するとお客さんは「ああそうか。食べたら景色が見えるようやわ」なんて言われますね。それが食材の力だと思います。
――自分の腕だけではなくて、生産者さんの思いがいかにきれいに届くかに心を砕いておられますね。
中東 それは日本料理のひとつの特徴でもあるでしょう。日本料理は、なんといっても季節を食べる料理。そのために料理法や器があるわけです。料理の中で季節を味わってもらいたいわけで、我々はその表現に技巧を凝らすわけです。
だから私はよく、実といっしょに、枝葉も持ち帰って、実だけでなく枝葉も召し上がって頂いてます。食べられるものは、全部食べ尽くしてやりたいと思うわけです。たとえば引きぬいたばかりの大根は、その毛根がピッと立ってまして、まるで赤子が母親の乳房から無理やり引き離された時のような思いがするわけです。こんなん見たら、葉っぱ1枚でも残さず食べてあげないと、と思ってしまうわけです。
――なかひがしさんのお店の「草喰」という意味について教えて下さい。
中東 草を喰(は)む、という意味なんですが、「喰む」という食べ方は、量ではなく質を食べるということです。「食べる」と言うのはおなかを膨らますことであって、「喰む」というのは、心に味を膨らますものであると解釈しております。よって、お客さんには、自然を召し上がって、心を豊かにしていただくことができればなあと思っています。料理には美しさ、味、珍しさなど、色んな方法があるでしょうけど、うちは「命を頂く」ということこそを、求めていきたいなと思います。
――料理人として、味の良し悪しの基準というのはどういうところに求められているものなのでしょうか?
中東 味は舌で感じるもので、それは長い経験もありますが、それと同じくらい、そのもの自体に血が通ってるかどうかを心で見るということを大切にしています。
味の良し悪しとなると、流通の中では、「競り」をかけることになります。そして競りの基準というのは、結局、色とか形ばっかりになりますわ。そこで生産者の思いが汲み取られることはまだまだ珍しい。流通に乗るためには、大根は曲がってたらあかんとか、いろいろどうでもいいことばかりになる。食べ物は生き物なんやから、そんなことで良し悪しが決められてしまうと、あまりに可哀想な話です。
今という時代は、本当に何が良いもんで、何が悪いもんかというのが分からない世の中になっています。でも、そんな時代だからこそ、丹精込めて育てられた血の通ったものの付加価値がより際立つように思います。私はそこを見せていきたいわけですわ。
――思えば中東さんとの出会いはニワトリでした。僕がアウトドアサークルに入っていて、ある時、ニワトリを捌いて食べようと思って、ニワトリを分けてもらいに行った大原の山田農園で、捌き方を教えていただいたのが最初でしたね。
中東 ほんまに、こんなに縁が深くなるようなことは思ってませんでしたよ(笑)。
ニワトリを捌くとき、たいていの人は首をひねって切り、血を出して、お湯をかけて、ぱっぱと毛をむく。でも、私の子どもの頃の親父のやり方は違ってました。首をキュッとしめて、そのまま生毛を引いて、ワラで毛焼きしてやる。こうすると湯で脂も抜けずに旨いんです。それをやってたら、阿部さんが来たわけです。「ニワトリ分けてもらえませんか」と。それで私は、「僕ニワトリ屋さんとちゃいますけど」言うたら、阿部さんは「僕は京大の探検部です」と。
――アウトドアサークルですけどね(笑)。
中東 まあ探検部みたいなもんやないですか(笑)。それでしばらくしたら、お店に来てくださった。
――あの時、名前を教えてもらえなかったんで、テレビを見て「すごい人だな」と思ってお店に行ったんです。
中東 それで通っていただいて、大学を卒業したらトヨタに入ると。そりゃあ、めでたいということで、さすが京大生やなと言っていたら、2、3年して「僕辞めます」と。辞めてどうすんのと聞いたらと、「隠岐の島に行きます」と。
なんで天下のトヨタに入ったのに、天皇が島流しにあうようなところにわざわざ行くんやろうと思いました。でも、「1人で儲けててもだめな時代です」みたいなことを話す阿部さんの目はずっと遠いところを見てはるんやろうなと思ってました。
――それで、僕がその日にお店を出るとき、「私は食を通じて『命をいただく』という姿勢、命の大切さを感じるための料理の在り方を後世に伝えようと思うてます。阿部さんも、阿部さんのやり方で、何か後世に伝えることをいっしょにやりましょうよ」おっしゃって頂いたのをよく覚えています。
中東 「新しい生き方を味わう旅」で、隠岐の島に寄らせてもらうまでは、阿部さんは何をしてるのかなと、一抹の不安みたいなものがありました。でも行ってみると、地元の方とがっちりスクラムを組んでコミュニケーションできていた。たった3、4年の間にそれができていたということに安心しましたね。
やっぱり何が大事かと言ったら、人と人との付き合いの中で、自分の価値観を見つけて信じ、そこで頑張るということでしょう。そして海士町は、追いも若きも、多様な価値観を認めて一体になれるというのはすごいことです。これは町長を総理大臣にせなあきまへんな(笑)。
――ありがとうございます。これからも自分らしい生き方を探しつつ、島とともにある会社をしっかり育てていきたいと思います。またごはん食べに行きますね!
※2011年11月に行われた「新しい生き方を味わう旅」の様子はこちらからご覧になれます。