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小田 理一郎 氏

小田 理一郎 氏

 

有限会社チェンジ・エージェント
ジャパン・フォー・サステナビリティ


 

『僕たちは島で、未来を見ることにした』
――心を豊かにする、学習する組織・コミュニティの奮闘記
 
株式会社巡の環は、一つの「学習する組織」の可能性を示すプロトタイプではないか?
 
阿部裕志・信岡良亮著『僕たちは島で、未来を見ることにした』を読んでそんなことを考えました。
 
「自分らしく生きたい」「持続可能な社会づくりを実践したい」「小さな町で起こした変化を、日本へ、世界へ拡げて行きたい」――そんな夢を共有した若者たちが、島根県海士町に移住し、田舎ベンチャー企業を興しました。
 
人口減少、少子高齢化、財政難――課題先進国と言われる日本の未来の縮図ともいえるような隠岐の離島での起業は生易しいものではありません。
実際、共有ビジョンを築く多くの人が直面するのは、一筋縄ではいかない複雑な現実です。
厳しい自然や、封建的な村社会、そして困難を目の前にして表出するメンバー間の考え方の違いなど。
そうした現実の前に夢を半ばで手放すI/Uターンの若者も少なくないでしょう。
 
そんな厳しい現実の中、なぜ巡の環の創業メンバーたちは、困難を乗り切ることができたのでしょうか?
 
学習する組織のディシプリンの一つ、「自己マスタリー」の要諦は、まずビジョンを支える原点をしっかりと保持しながら、複雑な現実に忠実でいることです。
 
本を読み進めながら、それぞれのメンバーの中にぶれない想いが感じられます。
原体験となるような人々との出会いのエピソード。
それを思い起こし、語り合うことでまたビジョンを強固なものにするプロセスが描かれています。
原点がなければ、夢やビジョンは困難にぶつかるとすぐに潰えてしまいますが、巡の環のメンバーたちには原点がしっかりとあるのが伺えます。
 
そして、都会から移住するメンバーたちは、地元の人たちの深い懐に飛び込んでいったのでした。
島の伝統、ならわし、人間関係から、厳しい自然まで、都会育ちには一見困難と思われることを受け容れる生き方を学んでいきました。
システム思考の一つの極意は、たとえ向かい風でもそこにある風をいかにうまく使うかにあります。
自然や周囲に逆らうのでなく、流れに乗りながらも自分の行きたい方向に針路を取るのです。
 
つまるところ、困難は己の心が創り出すものでもあります。
「ないものはない」「厳しい自然には逆らえない」―ある意味、当たり前の現実を受け容れることで、本当になすべきことが見えてくるのでしょう。
 
「島のことを学びながら稼ぐ」「稼ぎながら学ぶ」という指針は、実践に学び、学びを実践に活かす学習する組織の体現です。
また、単なる需給の関係ではなくそれぞれの人の居場所のある「担い手」を生む場のデザインに腐心し、そうしたそれぞれの役割と居場所のある関係から、島の人々との関係も築き、島の外の人々とも関係を広げていきます。
 
そんな彼らの活動の底流には、島の人たちの心根があるように思います。
海外の経済に比べて、日本の地域経済では国や行政などお上主導の意識があちこちに根付いています。
これほど、政治が機能しない今日ですら、国や自治体への依存心が強く、何かと言っては景気刺激策とか、補助金に頼ろうとする経営者がどれほど多いことかと寂しくなります。
しかし、日本と世界の未来の課題が濃縮されているこの海士町の登場人物たちからは、そんな甘えの言葉は出てきません。けして外部からの支えを拒んでいるわけではありませんが、その裏にある依存や甘えを戒めながら外部の人たちとの向き合い方を模索しています。
そして、自分たちで切り拓く生き方、そして困難なときには自分たちで支え合う社会のあり方が脈々と受け継がれています。
そんなしなやかな強さが、危機感はあっても悲壮感はないこの島の人たちの根底にあることが垣間見えます。
 
この本は、過疎の町や村で地域活性化を実践する人や、Iターン、Uターンを考える人たちにとっての参考事例としてもお勧めですが、それ以上に都市部に住む生活者の人たちに読んで欲しいです。
 
京都で人気の日本料理店が買い手でありながら値上げ交渉をするエピソードは秀逸です。
都市部に住む私たちの多くは、「心のデフレ」に悩まされています。モノ余りの時代ですから、いくらたくさんのモノを安く買っても根本のニーズが充足されなければ、このデフレから解放されることはありません。
デフレから脱却するには、消費の量ではなく質を変え、心を豊かにしてくれるような経済を生み出していくことが必要ではないか思います。
 
流通の過程で安く買い叩かれたゆえに買い手にとって「お得感」のある買い物をしても、そうしたモノやサービスの基盤を犠牲にしていたら、そうした取引は永く続きませんし、買い物という行為が人々の心をすさませるばかりです。
しかし、そのモノの背後にある作り手のよい仕事、想い、そしてかけがえのない「ふるさと」を構成する自然やコミュニティを護ることに価値を発見、再発見できたならば、たくさんのモノを買わずとも心が豊かになっていくでしょう。
 
そもそも価値づけに必要となるものごとの「意味」は、関係性の中で見出すもの。
心の豊かさのための価値創造のプロセスに、買い手として、共同の作り手として、そして担い手として、自ら関わりを広げ、そしてより多くの人たちが関われる場を紡ぎ出す筆者たちが、人間として、会社として、コミュニティとしての古くて新しいあり方に挑戦し、学び続ける姿に共感とすがすがしさを覚えます。
 
何かと心がすさみやすい時代ではありますが、周囲の人たちや自分自身の心を豊かにするために、できることから始めたいという御仁に是非お勧めしたい一冊です。